2006-07-04

将軍の勇退





’日出国よりやってきた将軍がわれらローマ帝国を勝利に導いてくれるだろうno.8 HIDETOSHI NAKATA ’





ROMAでの試合前の選手紹介
彼はいつもSHOGUNと呼ばれチーム、サポータに愛されていた。


日の丸を背負い、数々の名プレイヤーと互角以上に渡り合ってきた彼。W杯のたびに日本に勇気と希望を与え続けてくれた彼。
その彼がスパイクを脱いだ。。。。。。。。


僕がイタリアで彼を初めてみたのは、1999年ペルージャの開幕ゲームだった。当時、役者を目指しイタリアに渡っていた僕は、同じ語学学校の勇士10人で施設応援団を結成し、土砂降りの雨の中力の限り応援した。そのときの彼はすでにペルージャの中心選手であることは疑いの余地もなかった。
そのころの僕は’にわか中田ファン’にはなりたくなかったため中田ファンを公言していなかった。
同じイタリアに渡り頑張っている同じ学年の日本人という思いで見ていたのかもしれないが、彼だってあんな厳しいところで頑張っているんだからと、自分を叱咤し諦めず、走り続けることが出来た。

その年の終わりに、彼はROMAに移籍。そのころ小さなTV制作会社で音声を担当していた僕は、幸運にも彼の’声’をとることが出来た。
生中田をみれる!!その思いで、その前の晩とその日は興奮して寝れなかった。
 毎週のようにトラゴリアにクルーと足を運び、バティやトッティ、モンテッラ、デルベッキョ、トムマージ、カフーといった一流選手の声を拾い続けながらも、彼のティフォージだった僕は、仕事そっちのけで彼の練習を食い入るように見ていた。
クルーからよく中田LOVEってからかわれた。
当時、彼は日本のマスコミを目の敵にしていた為、結局一度も話すことは出来なかったが、彼のインタビューのときはなるべく話しやすくする為マイクだけおいて自分は会見場から出て’声’をとったりしていた。彼がベンチを暖める時が多くなっても、彼に対する期待は変わらなかった。あるBARでイタリア人に'NAKATAはもういらね?’と言われ’いらないのはTOTTIだ’と言い合いになったこともあった。


1998年のユベントス戦での衝撃2ゴール
当時セリエBからの昇格組みだったペルージャをセリエAの中堅クラブにまで押し上げた。
ユベントスキラーだった彼はその後ROMAで優勝を引き寄せる見事なシュートをユベントス戦で決めた。
ジョホールバルの喚起
いつもここ大一番での大仕事に僕らは声を嗄らし歓声を送り彼の孤軍奮闘の姿に一喜一憂してきた。
イタリアを離れても彼のティフォージと言うのは変わらず
ずっと応援してきた。
今回のW杯でも僕の周りでは彼に批判的な人もいたけど、僕は絶対に彼を信じていた。今までも数々の奇跡を起こしてきた彼なら絶対に何とかしてくれると。。。。

残念なのは彼についていけるほど気持ちの強い、技術もしっかりしたプレイヤーが日本にいなかったことだ。
初戦を見ながら、ペルージャ時代の彼が重なった。彼は超一流なのに周りが彼についていけない。。2戦目、3戦目と見ていてその想いがどんどん強くなり、歯がゆくてブラジル戦後の彼を見て泣いてしまった。


日本サッカーのパイオニアだった’SHOGUN'
ずっと孤軍奮闘だったのかもしれない。。。
’人生とは旅であり 旅とは人生である’
かつて数々の奇跡を起こしてきた’SHSOGUN’は新たなたびに旅立った。

本当に今まで夢と希望をありがとう 
ゆっくりと休んでください。

彼のコメント
  • http://nakata.net/

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