2006-09-05

讃岐人









ラーメン屋よりもうどん屋の方が多かった高松
蕎麦屋よりもうどん屋が多かった高松。
毎日うどんでも飽きなかった高松時代

そんなうどんの国で18年育った僕にとって
うどんはかなりのソウルフード

ちょいと町から離れると本当に看板もない掘っ立て小屋で打ってるところもあれば
畑のど真ん中にぽつんと打っている店もある。
台風が来たら飛んでいきそうなぼろ小屋
本当に様々
食べ方も同じ香川でも東西南北で全く違う。

高松に住んでいたときはさほど気にも留めなかったのだが
ここ最近四国から遠く離れてしまい、
無償にうどんが恋しくなることがある。
そんなときは仕方ないから蕎麦屋で我慢するが
やはり納得いかない。


あのうまさ
あのはやさ
あのやすさ
あの麺のエッジ
あのこし
あのだし
あの立ち食い
あの待っている時間

高校のころ休みになるとちょいと離れまで行っていた。

熱々のうどんを思い描きながら書いていてよだれが出てくるぜ。。。コンチキショー

「おばちゃんかけだいね」
「140円」(一玉70円)
「おおきに」


ジャバジャバ シャッシャ←湯きり

ジャバジャバ ←出汁

「おばちゃんねぎないで」
「うらからとってきて」

チョキチョキチョキ
パサパサ ←ねぎ多めに

フーフー
ズルズルズル ハフハフハフ
ズルズルズル ア??
ズルズルズル ゴクゴクゴクゴク
プッハー

「ごっそーさん!!」
「おおきに!!」



あ????!!
うどん食べたい。。。。



ちなみに香川に行くなら外観の綺麗なうどんやより
ぼろいところを探そう 綺麗な方も決してまずくはないがやはりぼろいところの方がうまい!!

うどんも十人十色
自分のオススメを探しておくれ

2006-07-26

嵐の後の青空









どんなに大雨が降ろうが

どんなに雷が鳴ろうが

どんなに暴風が吹き荒れようが

晴れない嵐はない

嵐の後は雲のない真っ青な青空が

気持ちよく僕らを迎えてくれる。

チョー気持ちいい


どんなに落ち込もうが

どんなに悲しいことがあっても

どんなにつらいことがあっても

必ずまた太陽は僕らを照らしてくれる。

嵐の後の朝に見る青空のように。

苦しみも 悲しみも 寂しさも

嵐と一緒にからっと晴れる日が来る

まぶしそうに青空を見上げ

新しい朝を迎えよう。

青空の下で白球を蹴りながら

君の嵐が晴れる日を信じて。。。。。。

2006-07-11

首都脱出!!

七夕の夜

先週の金曜日から日曜日にかけて
常夏の沖縄へ!!
これほどうれしいことはない。
日本がふがいない負け方をし、中田が引退を表明そのおかげで
だいぶへこんでいたオレ。よっしゃー息抜き!!

定時の20時を少し過ぎての出発
向かうは常夏の沖縄!!
機内ではバク睡
そして着いたのは台風直撃中の沖縄。。。。。ほえ〜〜〜〜
まだ本格的な雨は来てないみたいだ。。
嵐の前の静けさ?めっちゃ星が綺麗。
荷物を置いて男仲間3人でホテル周りを探索
今日七夕と思い出し、男三人で満天の星空を見上げる。
なんてロマンチックな夜だ これが男でなくて綺麗な女性なら。。。。。 
なんて思いながらもひと時の癒しを楽しみました。
その後0:30から宴会
明日はマリンスポーツだと盛り上がり初日終了

沖縄旅行 2日目

夜4時くらいまで飲んで7時おき
眠い目をこすりながら超ーーーー早い朝食
いや?起きてから飯食うまでこんなに早いのは何年ぶりかな
とても入らない。。。しかし今日は海!!と何とか無理やり腹に入れる。
外を見ると大嵐。。。。
かなりブルー

飯を終えて部屋に戻り熱いシャワーを浴びて目を覚ましながら
用意を始める。

9:30くらいに一度ロビーに集合しレンタカーの手配を終わらせ、今日一緒に行動する人と次の日の海の予約を入れにインフォメーションへ
なんとそこで言われたのが
「もうすぐ晴れるので今日やった方がいいですよ」
なんで沖縄の人はそんなことがわかるんだ!!と半信半疑になりながらもさっそくシーカヤック&シュノーケリングを申し込む。11時からだったのでホテルのプールに行こうとした瞬間
今までの嵐が嘘のようにピーカン!!
すげーーーさすが台風王国。

このシーカヤックとはカヌーのようなもので2人でこぎながら進んでいく乗り物
これがまた難しく慣れるまで時間がかかったがめっちゃ楽しかった。まるでタイでやったラフティングを彷彿とさせるものだった。
しかーし台風の為、波が高く流されるということで急遽シュノーケリングに切り替える。

ニモいましたよいましたよ。ニモ
今回の一番の目的ニモの写真を撮るということ
達成!!!写真は小さかったけど何とか達成!!
やったね
2時間があっという間に終わってしまった。。。。

シャワーを浴び2人で感動し部屋に戻り、昼飯を食べに車で出かけた。目指すは山原そば!!









電話すると「もう今日は終わり」「いやいや今ここにいるんで」と粘るとなんと「じゃあと10分だね?待っとくから早くおいで」ラッキーさすが沖縄の方。おのずとアクセルを踏む足にも力が入るというものですよ。Bダッシュさながら約7分くらいで目的に地に到着。
そこで食べたソーキそばはとてもあっさりで、肉も食べ応えがあり最高!!なにより俺ら2人の為の最後のソーキそばというのが更においしさを増していた。
やはり旅はこういうのが嬉しいね☆

あっという間に完食し、大満足の2人はじんべい目指してちゅら海水族館へ
途中路肩に出ていた屋台でパインとマンゴーをつまみ食い
イヤーどちらも甘くて最高!!しかも安かったんだよね~

いのでかさに大満足
何度来てもあきません。やっぱりいいな~

夜は大宴会
終わったのは24時

そこから2次会3次会へと沖縄の夜はまだまだ続くのでした。

沖縄旅行 最終日

いやいや前日は途中から後輩が加わり、飲めや愚痴れやの大騒ぎ。その途中ホテルが停電!!生まれて初めて経験したホテルでの停電。しかし皆酔っ払ってるのもあってまったくもって気にしていなかった。なぜかこういう席では酔えないんだよね~~~その後終わったのは5時を回っていた。。。

7時にまた起こされかなり早い朝食を食べる。
外を見るとすごい風でやしの木が反対方向に反り返っていた。
その光景をみていて、中学のときの英語の先生を思い出した。
結構年配だったその先生は常に内股で頭の毛が10:0わけ?という感じで横から無理やり髪をもってきていた。その先生が
渡り廊下を渡った瞬間突風が吹き、先生の天辺に乗っていた髪はものの見事に流されてしまった。まるでなびいているスカーフのように。。。。すげーおかしかった。

そんな大嵐の中僕たちは目的地である
  • てぃだ工房
  • に向かった。
    沖縄語で太陽の意味を持つこの工房は流球グラスを作れるというところ。以前からすごく興味のあった2人は早速門をたたいて体験をすることに。
    中は外の嵐とは違いまるでサウナ張りに暑かった。汗がとまらない。
    そこで僕ら2人を迎えてくれたのは職人あかねさん なおきさん たくやさん とおじさん
    すげー丁寧な説明を受け友達からスタート。
    始にガラスの元になるどろどろのガラスのある窯に、鉄棒にまわしながらその卵をつけていく。
    第二の窯でそれを大きくし形を整える。
    そしてべつの場所に移って形になったガラスをまわしながら
    棒からはずす作業
    そして再度形を整えて完成。

    ここまでやると本当に感動した。職人さんでも同じものを作れるようになるまで10数年かかるらしい。。。

    大満足の二人は出来上がりを楽しみにその場を去った。
    本当に彼らの暖かさと人懐っこさでたった30分くらいの体験は
    めっちゃ最高の思い出になった。

    その後前日にcap10,だいさんに聞いていた、鍾乳洞で焼酎を保存できるという
  • 金武観音寺鍾乳洞
  • に向かって車を進めた。外はまだ大嵐。
    この3日間で沖縄を縦断、横断したことになる。

    そこは街中に普通にある寺で外から見るとまったく鍾乳洞なんて分からなかった。境内の一角に地下にもぐる階段が。
    頭の中のBGMでは、川口ひろしの探検隊の音楽が鳴っていた。すべる階段を恐る恐る奥へと歩を進る。
    階段をおりきり奥へ進むとそこには約畳150畳にもおよぶ大広間が広がっていた。
    戦時中ここらの人々の防空壕にもなったところらしい。
    冷たい風と空気がぼくのら汗ばんだ体を冷やしてくれる。
    中には焼酎の貯蔵用タンクと約5万本にも及ぶ、保存された焼酎が並んでいた。5年間、もしくは12年間ここで熟成されるわけである。
    僕らも5年保管を頼み、その鍾乳洞を後にした。
    5年後の出来上がりが楽しみだ。

    僕らは天気が晴れ始めた南を目指し車を走らせた。
    途中A&Wという沖縄で有名なファーストフードを食べた。その店内はナント家族連れでごった返していた。味もおいしく、そこでしかない飲み物が飲み放題だったのには驚いた。
    ルートピアと呼ばれるその飲み物は、味はドクターペッパーのような感じ+ギネスビールという感じだった。沖縄恐るべし!!

    その近くにある
  • 富士家
  • というお店でぜんざいを食べた。
    富士家といってもあのぺろちゃんとは関係なく、ぜんざいをデリバリーしてくれる店らしい。沖縄ではぜんざいというとカキ氷なのだ!!
    あっさりの抹茶ぜんざいを頼んだらなんと390円だった。量も、味も申し分ない。いや??最高です。

    その後もう一人を国際通りでひろい、首里城へ
    本土と違う文化で成長してきた沖縄の歴史が見れるところだ。
    僕はこういうところが好きなので、かなり見入ってしまった。
    雨は、ぱらパラ状態になっていたがまったく気にならなかった。

    その後空港へ20時の便で日焼けでひりひりな肌を土産に首都へ

    今回社員旅行ではあったけど僕らはずっといきたいこと、やりたいことができたし、前回来た時よりも、より深いたびが出来た。一緒に回った友人も、元々バックパッカーといこともあり、また映像大好きということもあり、めっちゃ気が合い、楽しい3日間を過ごせた。沖縄人の暖かさを痛感した旅だった。
    大満足の旅行だった。

    はあ??またいきたいな??

    学生時代、旅に行けば必ず伝説を残すといわれた俺。
    最後に品川行きの電車を間違えて飛び乗り、横浜に行きそうになるというオチは忘れなかった。。。。。。


    今回電話したら、わざわざ調べてくれたマイミクのcap10さん、だいさんありがとう!!!
    ほんと助かりました。

    今回行ったお店

    てぃだ工房(沖縄に行ったら絶対体験すべし!!)
  • http://momotaro.ti-da.net


  • 金武観音寺鍾乳洞
  • http://www.ocvb.or.jp/card/ja/0020090900.html


  • ちゅら海水族館
  • http://www.kaiyouhaku.com/


  • ぜんざいの富士家(ちょっとした休憩に最高!!)
  • http://www.zenzainofujiya.com/


  • 山原そば(行くなら電話したほうがいいよ)
  • http://okinawasoba.ti-da.net/e641566.html


  • A&W
  • http://www.awok.co.jp/


  • 首里城
  • http://oki-park.jp/shurijo_park/
  • 2006-07-04

    将軍の勇退





    ’日出国よりやってきた将軍がわれらローマ帝国を勝利に導いてくれるだろうno.8 HIDETOSHI NAKATA ’





    ROMAでの試合前の選手紹介
    彼はいつもSHOGUNと呼ばれチーム、サポータに愛されていた。


    日の丸を背負い、数々の名プレイヤーと互角以上に渡り合ってきた彼。W杯のたびに日本に勇気と希望を与え続けてくれた彼。
    その彼がスパイクを脱いだ。。。。。。。。


    僕がイタリアで彼を初めてみたのは、1999年ペルージャの開幕ゲームだった。当時、役者を目指しイタリアに渡っていた僕は、同じ語学学校の勇士10人で施設応援団を結成し、土砂降りの雨の中力の限り応援した。そのときの彼はすでにペルージャの中心選手であることは疑いの余地もなかった。
    そのころの僕は’にわか中田ファン’にはなりたくなかったため中田ファンを公言していなかった。
    同じイタリアに渡り頑張っている同じ学年の日本人という思いで見ていたのかもしれないが、彼だってあんな厳しいところで頑張っているんだからと、自分を叱咤し諦めず、走り続けることが出来た。

    その年の終わりに、彼はROMAに移籍。そのころ小さなTV制作会社で音声を担当していた僕は、幸運にも彼の’声’をとることが出来た。
    生中田をみれる!!その思いで、その前の晩とその日は興奮して寝れなかった。
     毎週のようにトラゴリアにクルーと足を運び、バティやトッティ、モンテッラ、デルベッキョ、トムマージ、カフーといった一流選手の声を拾い続けながらも、彼のティフォージだった僕は、仕事そっちのけで彼の練習を食い入るように見ていた。
    クルーからよく中田LOVEってからかわれた。
    当時、彼は日本のマスコミを目の敵にしていた為、結局一度も話すことは出来なかったが、彼のインタビューのときはなるべく話しやすくする為マイクだけおいて自分は会見場から出て’声’をとったりしていた。彼がベンチを暖める時が多くなっても、彼に対する期待は変わらなかった。あるBARでイタリア人に'NAKATAはもういらね?’と言われ’いらないのはTOTTIだ’と言い合いになったこともあった。


    1998年のユベントス戦での衝撃2ゴール
    当時セリエBからの昇格組みだったペルージャをセリエAの中堅クラブにまで押し上げた。
    ユベントスキラーだった彼はその後ROMAで優勝を引き寄せる見事なシュートをユベントス戦で決めた。
    ジョホールバルの喚起
    いつもここ大一番での大仕事に僕らは声を嗄らし歓声を送り彼の孤軍奮闘の姿に一喜一憂してきた。
    イタリアを離れても彼のティフォージと言うのは変わらず
    ずっと応援してきた。
    今回のW杯でも僕の周りでは彼に批判的な人もいたけど、僕は絶対に彼を信じていた。今までも数々の奇跡を起こしてきた彼なら絶対に何とかしてくれると。。。。

    残念なのは彼についていけるほど気持ちの強い、技術もしっかりしたプレイヤーが日本にいなかったことだ。
    初戦を見ながら、ペルージャ時代の彼が重なった。彼は超一流なのに周りが彼についていけない。。2戦目、3戦目と見ていてその想いがどんどん強くなり、歯がゆくてブラジル戦後の彼を見て泣いてしまった。


    日本サッカーのパイオニアだった’SHOGUN'
    ずっと孤軍奮闘だったのかもしれない。。。
    ’人生とは旅であり 旅とは人生である’
    かつて数々の奇跡を起こしてきた’SHSOGUN’は新たなたびに旅立った。

    本当に今まで夢と希望をありがとう 
    ゆっくりと休んでください。

    彼のコメント
  • http://nakata.net/

  • 引退表明コメント
  • 2006-06-30

    3日3晩。。。。

    家には服を変えに帰るだけの生活が3日3晩続き
    睡魔は極限状態。。。。。

    ちょっと気を抜くとたった1秒で暗黒の世界へと瞬間移動。
    かなりぎりぎりの状態。
    仕事をしながらも頭の中はすでに、現実逃避をし始めている。

    わけも分らず昔の光景が走馬灯のように頭に浮かんできた・・・・・

    僕はファミコンショップにいた。
    そこは買取もしてくれるところで昔のソフトを見ていた。
    サッカーのソフトの前で懐かしく足が止まる。

    そういえば俺も持ってたな?
    あれどこいったのかな?

    何気に裏を返してみる
    さ と な か し ず る(本名が載っていた)
    と大きく書かれていた。

    ・・・・
    ・・・・
    ・・・・
    俺のかよ!!

    貸したままになっていたソフトとの運命的な出会い

    店員を呼び
    とりあえず値段を聞いてみる


    100円です。
    俺のサイン入りソフトは他のに比べ激安になっていた
    店員曰く
    名前はいってるんで・・・

    俺の価値は100円・・・・

    ショックながらも売ったやつを聞き出すと
    仲良かった友達の名前が

    即効ぼこぼこにしたのは言うまでもない


    。。。。。。。。。。。。。。。
    何でこのシーンを思い出したのだろうか
    もっといいシーンはなかったのか? たとえば素敵な女性とXXXしてるとか もっといろいろあるだろうに
    俺の脳の思考回路は睡魔というウィルスにすっかり毒されている。


    海外のTV番組で何時間ずっとおきていられるかを競うという番組があった。最長で
    一週間。。
    俺は3日でダウンだ。

    その状態も後3時間
    布団に飛び込みたい。。。。
    なんだろう
    どうした!!オレ!! 続く!!
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    浅草浅草
    沖縄沖縄